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SHE CAN RUN !!!のおまけ&YOU CAN RUN !!! のゆくえ

ちょっとー、おまけはないでしょ~?
という娘の声が聞こえてきそうですが、

そもそもはアレルギーっ子かもしれない
娘の成長を記録しつつ、
同じ月齢の息子のことも振り返ってみよう
というのが「SHE CAN RUN!」の主旨だったのでした。

その後、あまりにもアレルギー反応の出ない娘ゆえ、
すっかり息子に主役の座を乗っ取られてしまいましたが、
一応おまけ編として(ちょっとー、おまけはないでしょ~?)
娘なっちについても語っておきたいと思います。

…と思ったけど、




書くことなにもないんだよね~!←ええーーっ




粉ミルク、乳入りビスケット、ミルフィーなど、
はじめて食べた時に薄いじんましんが出て
母を不安のどん底に陥れたなっちですが、

その後のリトライでは症状も出ず、
結局、1歳目前で兄と同じ認可の保育園に
入園した時には、怪しかった粉ミルクはもう飲ませず、
いきなりみんなと同じ牛乳50ccを
ゴクゴクと飲んでいたのでした。←ええーーーっ

最初は一応心配して
加熱で50cc飲ませてもらっていたのですが、
毎日飲んでも問題がないようなので、
暑い季節の訪れとともに
冷たい牛乳をそのまま飲むようになったそうです。
(あたりまえですがうちには牛乳がないので、
彼女が牛乳を飲む姿を見たことはない!)

卵、小麦、その他もろもろの
メジャーアレルゲンについても、
入園前の3月に経口で負荷をすませ、
結果、ひとつも除去のない、
みんなと同じ給食をいただいています。

そうはいってもぺっちの妹。

年齢が上がってからなにか出てくるんじゃないか、
肌自体はぺっちよりも弱いなっちなので、
コートの襟がこすれてほっぺが赤くなったりするたびに、
指しゃぶりしすぎて濡れたほっぺが赤くなったりするたびに、

もしかしてアレルギー!?

とドキドキしてしまう母なのですが、
いまのところ、本当になにもないよう…

家庭では、ぺっちに合わせた
乳・小麦・卵ぬきメニューしか出ませんので
(小麦も卵も「負荷」以外ではほとんど食べていません)
少しは予防になっているかな…などと思っていたのですが、

どうやら本当に大丈夫そう?と思う最近では、
ぺっちが水泳に行っていたり、
お友だちのところに遊びに行ったりしている間に、
父や母とつかの間のデートで
サンドイッチランチやケーキで
おやつを楽しんだりもしています。


さて、そしてこれまた
ちょっとー、おまけはないでしょ~?
という声が聞こえてきそうですが
(ちょっとー、おまけはないでしょ~?)

SHE CAN RUN !!!のおまけのおまけの
「YOU CAN RUN !!! のゆくえ」について。


みなさんに長い間お世話になってきた
「YOU CAN RUN !!!」を、
今日で最終回にしようと思います。


思いはいろいろありますが、
理由としては、

たくさん支えていただいて、
そろそろもう、
ひとりでも歩いていけるかな、というのと

息子自身も自分の足で歩きはじめているので、
私も私自身の道をちゃんと歩いていかなくちゃな、
と、そんな気持ちでいます。

できるだけ長く続けていきたい、
まだやってたの~?と言われるのが目標、
などと言っていたのが嘘になってしまってゴメンなさい。

いや、書きたい気持ちはあるんですけどね。

映画のこととか、絵本のこととか、
今度書くとしたら
子ども中心ではなく、もっと自分中心に書いてみたい、



でもそれはまた、別の話。



ある日、サトワカさんがひょっこり遊びにきてくれてから、
だんだんとアレルギーブログ化していき、
たくさんの素敵なお母さんとのめぐりあいがあり、
とても楽しく充実した時間を過ごさせていただきました。

自分で言うのもなんですが、
トリックシューとトリックミルフィーユは
傑作だと思っています!
(どちらも巨匠のレシピあっての傑作ですが)
あ、トリックポットパイはマジネタですから、念のため。
ええ、もちろんレシピとしての傑作じゃないですよ、
「ネタ」としての傑作です。
徹頭徹尾、それしか目指してませんから!←ええーーーーっ

アレルギーブログとして
大きく育てていただいた「YOU CAN RUN !!!」なので、
ここでひと区切りつけておきたいと思います。



いつも語りすぎだった私ですが、
肝心な時にはうまく言葉が出てきません。

なので、ここは旧友の言葉を借りてしめたいと思います。



みなさんのお幸せをお祈りしています。

たくさん、たくさん、ありがとう。



WE CAN RUN !!!



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SHE CAN RUN !!! 完結編

泣きやまない息子を一晩中抱いたまま
迎えたあの朝をきっかけにして、
ステロイドの使用をはじめました。

はじめはステロイドと保湿剤を1対1の割合で。
状態がよくなれば保湿剤の割合を増やし、
悪化すればステロイドの割合を増やす方法で。

結論としては、
ステロイド剤の使用をはじめてから半年後には
皮膚の状態も落ちつき、
ついには保湿剤の割合が100%となるに至りました。

保育園では毎月、園医による健康診断があるのですが、
毎月、毎月、必ず
「アレルギー、アトピー、治療を要す」と
書かれ続けていた息子。

ステロイドを使用するようになって半年、
1歳3か月の頃にはじめて、
「異状なし」と書きこまれた診断結果を手にしました。


こう書くと、いかにも
ステロイド様様、といった感じなのですが、
実際には、ステロイドの使用開始から遅れること1か月、
生後10か月の頃に粉ミルクの使用を完全にやめたことが
大きかったのではないかと感じています。


生後4か月の頃の息子の検査結果です。

アレルゲン名スコア成績
卵白6.02UA
卵黄1.02UA
小麦2.98UA
ミルク0.16UA
チーズ0.11UA
オボムコイド5.75UA


検査結果をうけ、医師からは
「卵と小麦を除去してください」
と指示がありました。


必死でした。


離乳食開始前の検査だったため、
はじめは授乳している私自身が卵と小麦を完全除去。

職場復帰後、冷凍母乳での授乳継続はなかなか難しく、
生後7か月で断乳。

離乳食だけの除去は親の除去に比べれば楽なものなので、
卵、小麦は決して家に持ちこまない生活を続けながら、
これできっとよくなるはず、とそう信じて…


そう信じながら、

「粉ミルクがなくなりそうです」

と保育士さんに告げられるたびに、

ミルクは検査結果に出ていないけれど、
アレルギーっ子だし、ふつうの粉ミルクよりはいいだろう、
と思って飲ませていた「E赤ちゃん」を
缶ごと保育園に預け、飲ませてもらっていました。



ミルクのその後の推移です。


2003年6月 0.16UA(スコア0)

2004年9月 1.70UA(スコア2)

2005年12月 3.21UA(スコア2)

2006年12月 7.35UA(スコア3)

2007年10月 4.74UA(スコア3)


年々反応が強くなっていった、とは正直思っていません。

もともと反応は強かったのが、
年齢とともに数値に出るように
なっていっただけなのではないか、と。


乳アレルギーがあったにもかかわらず、
毎日、毎日、粉ミルクを飲ませていたこと。

息子があれだけ苦しく、
つらい乳児期を送らなければならなかったのは
乳に原因があったのだと、いまではそう考えています。


卵や小麦を、いくら必死で除去しても無駄だったのです。

親が経母で食べてみて、あるいは本人に食べさせてみて、
反応を見てアレルギーかどうか判断しましょう。
数値があるからといって、
絶対に食べられないわけではありませんから。

医師にはそう指示されるものの、
食べさせて、反応を見て、
と言われてもそんなのは無理だった。

反応もなにも、息子の状態はつねに最悪の状態で、
なにをどう与えたからこうなった、
と判断できるようなレベルのものではありませんでした。

いまにして思えば、当然のことです。

回転食を心がけながら食べさせている離乳食とちがい、
粉ミルクは毎回、毎回、食事のたびに、おやつのたびに、
欠かさず飲ませ続けていたのですから。

つねに症状が悪かったので、
昨日食べた、さっき食べたなにが悪いのか、
どんなに食事の記録を見返しても
犯人を突き止めることができなかった。

よく見れば、食事の内容とともに
「ミルク○○ml」という記載がちゃんと残っているのに、
愚かな母親はそのことにちっとも気がつかなかった。

毎食、毎食、浴びるようにアレルゲンを摂取していた
息子には、「よくなる」余裕などあるわけがなかった。

卵や小麦をどんなに必死で除去したからといって、
症状が改善する道理がなかったのです。

数値があるからといって、
絶対に食べられないわけではありません。

同様に、数値がないからといって、
アレルゲンでないとは限らないのです。

それなのに、医師も、親も、
ミルクに原因があるのではないかと
疑ってみることをしなかった。

保育園のすすめで、8か月からは粉ミルクを
「E赤ちゃん」から「MA-1」に替えていますが、
「MA-1」でも、息子の場合には安全ではなかったようです。


いまでこそ、
悪かったのは乳だったのだな、と考えている私ですが、
そんなふうに思うようになったのはごく最近、
記事を書くために当時の保育園の連絡帳を
読みなおしてみてからのことです。

ステロイドを使いはじめてから1か月は、
量に気をつけながら塗ってはいるものの一進一退です、
といった表記が続いているのですが

その後1か月ほどして、
粉ミルクを完全にやめました、と記述がある直後から

「調子のよい状態が続いています」

「今度こそ、快方に向かっていると信じたいです」

といった内容が増えてきます。

それに気づくのに、4年もかかってしまいました。
悔しくて、当時はなにも思わずに、
なにも意図しないで書きこんでいた
連絡帳を読みながら泣きました。




ステロイドを使いはじめて約半年で
息子の肌状態はかなり落ちつき、
出血している部位こそなくなりましたが、

とはいえかゆみとの戦いはその後も続き、

1歳代は顔、手足を気がつけばかいている状態。
夜は抱っこ寝か、あるいはかゆがる部分を
かいてやりながら寝かしつける毎日。
平均して2回は夜中も目を覚まし、
かゆくて眠れない夜を過ごしていました。

2歳代になると顔はほとんどかゆがることもなくなり、
手足の関節をかゆがってはかきこわしたりしていました。
この頃には、深夜、かゆがって起きることも
少なくなってきました。

3歳代には、膝裏と足首がつねに傷んでいる状態。
毎晩、靴下をはかせて寝る、などの対策をするうちに、
足首はだんだんとよくなっていきました。
深夜かゆみで起きることはほとんどなくなり、
寝かしつけの際も、かいてやらなくても
眠れるようになってきました。

そして4歳、
膝裏がかゆいようで、たまに手をやることはありますが、
出血するほどかくことはもうありません。
アレルゲンを口にさえしなければ、平穏な毎日です。



肌状態が落ちついた半年後以降は、
ステロイドは単発で、
かきこわしがひどく、いったんいい状態にしないと
さらにかいてしまって悪循環になる、と
思われる時にだけ使うようにしています。


ステロイドは正しく使えば怖い薬ではありません。

まずは薬を使って症状をよくしてあげましょう。


そのとおりです。

なので今は、塗ればすぐによくなる、
いったんよくしておかないと
さらにかきこわしてしまう、と判断した時には
ステロイドを使うようにしています。

けれどあの頃、

塗ったとしても「よくなる」かどうか
確信が持てなかったあの頃には、
どうしても使う勇気が持てなかった。

本当は、「よくなる」かどうか
先の見えなかったあの時こそ、
息子は一番苦しんでいたし、
一番ステロイドが必要な時だったかもしれないのに、
当時の無知な私は、どうしてもその勇気がなかった。


息子のアレルギーは私のせい、
とは考えたことのない私ですが、

時たま、保育園のおともだちになにげなく

「ぺっちくんてどうしてこんなに小さいの~?」

などと言われると、
子ども相手にも取り繕うことができないほど、
動揺してしまうことがあったりします。

クラスで一番背の低い息子、

下のクラスのおともだちにもどんどん抜かされていく息子、

これはやっぱり、無知な私が
乳児期に息子をちゃんと眠らせてやらなかったせいなのかな、
そのせいで成長ホルモンが不足してしまったのかな、




でもね、背が小さいなんて、ちっぽけなことだし。




検査結果の数値は低いのに、
なかなか食べられるようにならない息子。

あるいはもっと早く、
専門的な病院に転院していたら、
スコアはゼロだとしても原因は乳なのだと、
早期に診断してもらえたかもしれない。

けれど無知な私は、
ほかのお子さんのスコアと息子のスコアを見比べながら、

これだけ数値が低いのだから、
指示されたアレルゲンを除去していれば
きっとすぐに食べられるようになるはず、
と思いこんでいました。
そう、信じたかった。

体じゅう血まみれな状態で、
毎食、毎食、アレルゲンを摂取しつづけ、
それでいて保湿剤以外は使ってもらえず、
夜もほとんど熟睡することのできなかった息子。

あるいは乳児期に、無知な母親が
あまりにもアレルゲンに対して
過敏な状態を継続させてしまったせいで、
数値が低いわりには
食物アレルギーを悪化させてしまったのかもしれません。




でもね、食物アレルギーなんて、ちっぽけなことだし。




振り返れば後悔はつきないけれど、

子どもはたくましく、

どんどん先へ先へ、と伸びていきます。





強く、高く、遠くまで、

自分の足で乗り越えて、飛び越えて進んでいけるよう、




乗り越えていけ。



遠く、遠く、飛んでいけ。





遠く、遠くまで飛んでいって、



彼はもう



うしろを振りかえることさえないかもしれないけれど、





私はずっと、ここで矢の行方を見守り続けているから。





SHE CAN RUN !!! その9

確かに私は、
息子に対してひどいことをしていたのかもしれません。

お誕生日おめでとう。

息子の、1歳の時の写真です。

IMG_3642.jpg



「薬を正しく使って、まずは症状を抑えてあげてください」


診療してくれた医師は
口をそろえてそう言ったのに、
私は、ステロイドという薬を
なかなか使おうとしませんでした。


娘が生まれ、彼女の成長とともに
「SHE CAN RUN !!!」と題して
その頃の息子がどうであったかを綴ってきましたが
「その8」以降をずっと書けずにいました。

ちょうど育児休業から復帰して
なかなか時間が取れなかったということもありますが
書けなかった理由はそれだけではなく、



ここが、トンネルの、一番深くて暗いところだったから。



血液検査の結果、卵と小麦に数値の出た息子。

経母、離乳食での除去を続けてきましたが、
生後9か月、症状はいっこうに改善せず、むしろ悪くなっていきます。

最初にかかった医師は、ステロイドをあまり使わない主義。

けれど、それではいっこうによくならないので、
別の病院にも足を運びました。

「これはかわいそうに」

「薬を正しく使って、まずは症状を抑えてあげてください」

けれど、私はステロイドを使わなかった。

なぜでしょう?




無知だったからです。




必ず副作用のこととセットにして語られるこの薬のことが、
無知な私には怖くて怖くてたまりませんでした。



「まずは症状を抑えてあげてください」


「まずは」って?
それはいったいどのくらい続くの?


「一度症状をよくしてから、量を減らしていけばいいんです」


一度よくする?
じゃあ、使えば絶対によくなるの?
絶対「減らしていく」ことができるの?

「よくなる」までに、
取り返しがつかないほどステロイドのランクが強くなって、
塗っても塗っても治らなかったらどうしよう?



アトピー性皮膚炎の友人数人に聞きました。

「使ったあとがかゆいから、ステロイドはあんまり使わないんだ~」

「アトピー?私は2歳からずっとだよ」
「ステロイドはやめたほうがいいよ・・・」

藁をもすがる思いで、

あるいは酷だったかもしれない質問をしましたが、
結局わかったのは、
使うべきか使わないべきか、
数学の答えのように
はっきりと答えが出せるような簡単なものではない。

使え、といってもその結果に責任など持てない。
使うな、といってもその結果に責任など持てない。
だれかがだれかにこうしろ、と
安易に助言できるようなそんな簡単なものではない。


最後は、自分で選ぶしかない。


問題は、この場合、1歳にもならない乳児が
「塗ってくれ」とか「塗らないでくれ」などと
言うはずがありませんから、
どうするべきかを、他者である親が
決めなければならないということです。


塗ってしまうのは簡単。

でも、遠い将来において、

「どうしてお母さんは僕にステロイドを塗ったの?」

と言われたら、いったいどうしたらいいんだろう?



そう思うと、
当時の無知な私にはとても決断がつかなかったのです。


そして、

「お母さん、ステロイドは使いたくないでしょう?」

そう言って保湿剤だけを処方してくれた医師。

どんどん目を覆うような状態になっても
「かわいそう」とは言わなかった
最初の医師の言葉にすがるほうを選んでしまいました。



夏に、帰省した時のことです。

つもる話もありますので、
夕食を食べず、私が寝室で
息子を寝かしつけるのを待っていた父と母。

けれど、帰省していっそう症状の悪化した息子は、
なかなか眠りにつこうとはしなかった。

置けば泣き出すし、かきむしりますので、
かこうとする手をおさえながら
子守唄を歌い、必死で泣かないように、
眠ってくれるように抱っこし続けました。

そのうち、歌のレパートリーもつきてしまったので、
焦りは禁物、と思いながら
数を数えてみることにしました。

まさか、4ケタにいくことはあるまい。
そこまでいく前にはきっと寝てくれるだろう。

そう思っていたのに、
いざ数えはじめてみると、
あっという間に1000を超えてしまった。

途方に暮れながら、それ以上は数えるのをやめました。

ようやく息子が寝ついた時には、
夕飯を食べるにはずいぶんと遅すぎる時間になっていました。

母が言いました。

「なんとかして楽にしてやれないの?」

「かゆみをとめてあげる薬はないの?」

「ないわけじゃないよ。
でも、もしステロイドを使ったとして、
使っても使っても治らなかったらどうするの!?」

「あの子が大きくなって、どうしてこんな薬を僕に塗ったの?
って言われたら、責任取れるの!?」

寝ない子を抱きながら心のなかにもやもやしていた気持ちを
一気に母に向かって吐き出してしまいました。

母はそれ以上、なにも言いませんでした。

遅すぎる晩酌の杯を傾けながら、
父は私のずっと年上のいとこで、脳に障害のあった子がいたこと。
そのことで、ずいぶんと伯母は苦労したけれども、
小学校に入学することなく早逝したこと。

それから、知り合いのお子さんで、
指の数が多く生まれてきた子がいたこと。
その妹さんもみつくちで生まれ、手術をしたこと。

そんなことを、とりとめもなく話してくれました。

なにがどう、とは言わなかったけれど、
子どもを育てるということにおいては、
いろいろな苦労があるものなのだ、
ということを話したかったのだと思います。



保育士さんとも、いろいろな葛藤がありました。

とてもいい保育園でした。

小規模な園だったこともあり、
息子のために、息子だけではなく全体のメニューとして
できるだけ卵、乳を使わないものを考えてくれました。
持ち込んだきび醤油で、除去食を作ってくれましたし、
正直、除去においては
こちらが教えられることの方が多かった。

夏になり、症状が悪化した息子のために、
少しでもかゆくないように、汗を流しましょう、と
昼の沐浴をあちらから申し出て実行してくれました。


「今日もかいているのかな?」

「朝できていた、あのかさぶたはどうなっただろう?」


湿疹のこと以外はなにも考えられなくなっている私に、


「今日はぺっちくん、こんなことができたんですよ!」

「お友だちと、こんなふうにしてましたよ!」


と、息子の成長を事細かに笑顔で話してくれました。
あの明るい笑顔に、どんなに救われたことか。



「必要な薬があれば、お預かりしますから」



もともと、保湿の薬は預けてあったのですが、
暑くなりはじめた頃、そう言われました。

ステロイドのことかな、そう思いました。

ですので、連絡帳に書きました。


「ステロイドのことは、ずっと悩んでいます」

「先生が除去の効果が出てくるのを待ちましょうか、
とおっしゃるので、もう少しこのまま
がんばってみたいと思います」


けれどきっと、保育士さんにとっても、
すでに見るに見かねる状況だったのでしょう。

抱かなければ決して寝ない息子。
抱いてもかゆくて、暴れまわり泣きわめく息子。
お昼寝させるのは、どんなに大変だったことでしょう。

寝かしつけるたびに、私のTシャツは
彼のリンパ液でゴワゴワになりました。
きっと、保育士さんたちも同じだったことと思います。

「今日、ぺっちくんなかなか眠れなくて・・・」

毎日寝かしつけのたびに手こずっているはずなのに、
いつも笑顔でそのことには触れない保育士さんが
めずらしくそうおっしゃった時、

「いつもご迷惑をおかけして・・・」

と切り出しました。


「そんなことはどうでもいいんです!」


その先を続けさせなかった、保育士さんのやさしさ。


「でも、早くよくしてあげたいですね」




「使うなら、中途半端にせずちゃんと使ってあげてくださいね」



ステロイドについては悩んでいる、と書いたあと
保育士さんからはそうアドバイスをいただきました。

使うからには、よくなったからといって
急にやめてはいけない。
だんだんと、慎重に量を減らしていかなければいけない、
ということを言いたかったのだと思います。



なかなか決心のつかなかった私ですが、
さすがにもうダメかな、と思ったのは
「ステロイド使いたくないでしょう?」と
保湿剤のみを処方してくれていた医師の方針が変わった時。

「試しに薬を替えてみましょうか?」

いままでの保湿剤に替わって、
「エキザルベ」という薬が処方されました。

塗ってみて、驚きました。

真っ赤なリンパ液の海だった息子のほっぺたに、
一夜にして陸地が現れたのです。

「よかったじゃん、この薬、合ってるんじゃない?」

のんきに笑う夫を尻目に、すぐにネットで調べ、
「エキザルベ」が非常に弱いタイプの
ステロイドであることを知りました。


それがステロイドであることを告げずに
処方した医師への怒りは感じませんでした。

医師にしてみれば、そうでもしなければ
この母親は薬を使おうとしないだろう、と
考えてのことだったのかもしれません。

あの先生が、これを処方したということは、
もう本当にダメだってことなんだな。
あきらめるしかないってことなんだな。


「新しい薬、どうでしたか?」

「効きすぎて、怖くなりました」


減量の仕方を図解してもらい、
けれどそれでも決心がつかなくて・・・


「やっぱりまだ、迷ってるんです」


と告げた時の、保育士さんの切なそうな顔。

使ってしまうのは楽かもしれない。
でも、使ったとしても、
いつやめられるという確証はどこにもない。
ずっと遠い先の将来において、
息子の肌がどうなっているか、
保育士さんには関係ないけれども私はそうはいかない。

だとしたら、今、目の前にいる
この人にどう思われようと、私はかまわない。

道行く人に、あの子どうしたんだろう、という
視線を送られたとしても、
ひどい母親だと思われたとしても、痛くもかゆくもない。

大切なのは、息子だけ。
それ以外のことはどうだっていい。

私が決める。
誰の意見にも、揺れ動くわけにはいかない。

そんなふうに思ったりもして、
毎日、毎日、お迎えに行って息子の姿を探すたびに、
闘いを挑むような心境になっていました。

とてもいい保育園だったけれど、
たった一回だけ、お迎えに行くと、
息子が部屋のすみにひとりで寝転がっていて、
ジュクジュクの頬を
一心不乱にほおをかきむしっている姿を
見てしまったことがありました。

預ければ、かいてしまう。
私が仕事を休んで、ずっとついていたら、
このかさぶたをちゃんと治るまで
見届けることができるんじゃないだろうか。

仕事、続けていけるのかな、
保育士さんたちも、こんな状態の子を預けて
仕事に行くなんて、と思っているんじゃないかな。

このまま働いていていいのか、
真剣に考えたのもこの頃のことです。


夫が抱けば、かく手をきちんとおさえないし、
おさえたとしても、かゆい頬を
抱いている胸に必死でこすりつけるから
ますます傷口が広がってしまう。

私がやるしかない。

かかないように、こすらないように、
私がやる以外にこの子をよくしてやるすべはない。

これだけちゃんと除去しているのだもの、
ステロイドに頼らなくても、
きっと、結果が出てくるはず。

だからもう少しこのままがんばってみよう、
明日こそはよくなってくるはず、
明日こそ、明日こそ…




抱きながら、ずいぶん歌を歌いました。

早寝推奨の保育園にならい、
夜の8時前後から寝かしつけをはじめ、
抱いても、抱いても、息子は眠らない。

いや、少しはウトウトしている。

けれど、ベッドに下ろそうとすると
たちまち眠りが浅くなってかきはじめてしまうので
抱き上げないわけにはいかない。

ずいぶん、抱きました。

ずいぶん、息子は泣いていました。


やがて、

歌うことにも数を数えることにも疲れてしまい、

ただ、無心で息子を抱いたまま、
背中をトントン、叩き続けていました。


一度も眠らないまま、

一度も腰を下ろすこともないまま、




いつのまにか外が明るくなってきているのに気がついて、




その時に、思いました。




どんなにかわりたくても、かわってはやることはできない。

この子がこの先の未来で出会うどんないたみも、

私がかわりに引き受けてやることはできないのだ。




いつか遠い未来、

この子が私の使った薬の副作用に悩むことがあったにしても、



ハリール・ジブラーンの言葉を借りて言うならば、



彼の「魂は明日の家に住んでおり」、

私は「その家を夢にさえ訪れられない」。



彼は彼であり、私ではない、

私は私であり、彼になることはできない、



遠い未来、彼が副作用に悩むことがあったとしても、

それは彼自身の「明日の家」でのこと。



私には、その家で一緒に悩む権利などないのです。



この子自身が、

この子自身の運命を乗り越えていくしかない。



強く、高く、遠くまで、

自分の足で乗り越えて、飛び越えて進んでいけるよう、

大きく弓をしなわせる以外、

私にできることはないのだ、と。



かわってやりたいと願うことはたやすい。

けれど、かわれないからこそ親なのだと、

かわれない苦しみに耐えるからこそ親なのだと、



カーテンの向こうに朝の光を感じながら、

悲しくて、笑いました。


悲しいけれど、進むしかない。

悲しいからこそ、親なのだと思いました。



かわりたくてもかわってやることはできない。



そんなあたりまえのことがわからなくて、


「私がやるしかない」と

傲慢な考えで息子を苦しめていた自分、


ひとり、ギリギリのところでつっぱって、

必死に夜通し子守唄を歌っていた自分が


とてもちっぽけで、小さく思えて、


泣きながら、

思わず声を出して笑いました。


SHE CAN RUN !!! ~その8 後編~

8ヶ月の長男ぺっち。

それは、暑い8月のことでした。

生後からずっと、両頬をはじめとする
湿疹とかゆみに悩まされ続けてきたぺっち。

あの暑かった夏は、今にして思い返すと、
ぺっちが長い下り坂を
下りに下っていった先の、
一番底の部分にいた、
まさにその時だったのだと思います。



両頬は真っ赤でジクジクのリンパ液の海。
両肘、両膝のあたりも掻きこわしで傷だらけ。

そんな状態の続いていたぺっちですが、
8月の前半、私の実家に帰省すると、
症状はさらに悪化していきました。

久々の実家、つもる話もありますので、
寝かしつけたあとで居間に戻って・・・
と思うものの、抱けども抱けども
なかなか眠りにつかないぺっち・・・。

8ヵ月ともなると手足の力も強くなってくるので、
かゆい頬や太ももを掻こうとする手を
必死で阻止しながらの抱っこです。

手を阻止されると、今度は夢中で
頬をこっちの胸にこすりつけて
かゆみを紛らわそうとしてきますので、
胸からわずかに顔を離した状態で
こすられないように保ちながら、
なんとか眠りについてくれるよう、
足でステップを踏み、手で背中をトントンします。

いくら子守唄を歌っても、
なかなか寝ついてくれない。
歌のレパートリーはすぐにつきてしまうので、
仕方ないので数を数えてみることにしました。

きっと、たぶん寝る。
もうきっと、寝るはずだから。

500も数えるうちにはきっと寝るだろう。
そのくらいに考えて数えはじめたのに、
なんのことはない、あっという間に
4ケタに突入してしまった・・・。

その間中、泣き続け、叫び続けている
ぺっちと私の状態を見かねて、
母が交代しようか、と言ってはくれるものの、
当時は、自分以外の人にまかせてしまったら、
その分、ようやく固まりかけた傷口が
また胸にこすりつけたりすることで
真っ赤な海に戻ってしまうのではないか、
という強迫観念のようなものがあって、
まかせるにまかせられなかった。

その結果、ぺっちも私もすっかり真夏の夜、
汗だくになって、体も熱くなってしまい、
ますます眠れぬ夜を長くしてしまったのだ、
と今ならば距離を置いて考えることができます。

でも、あの頃は毎日、毎晩が必死で、
冷静に状況を分析する力など残ってはいなかったのです。

確か、あの夏は、平均して2時間くらいは
寝かしつけに時間がかかっていたように記憶しています。
早ければ1時間、遅ければ3時間以上・・・。
要するに、眠くなって体温が上がればかゆくなり、
ひたすら泣いてばかりいたのです。


その頃、食べていたもの。

野菜のトマト煮
かれい
豆腐
野菜のミルク煮
牛ひき肉の野菜スープ煮
しらすご飯
かぼちゃの豚ひき肉あんかけ
野菜スープミネストローネ風
豆腐のマーボー風
カジキのトマト煮

ざっと振り返ってみただけで・・・

今の私だったら、
よほど用心してからでなくては
与えないであろうメニューを、
あの頃はなんの疑いも抱かず、
息子が口を開くままに放り込んで、
どんどん食べさせていました。

焦りもありました。

息子の体重は、7ヶ月の時点で6650g。
6キロ台になってから伸び悩むようになっていたので、
離乳食をもっとがんばって食べさせて
ほかの子に追いつかなくては、との思いで
育児書を眺めてはいろいろ工夫してみたつもりでした。

そう・・・
卵と小麦が食べられないと思えばこそ、
別のものでなんとか栄養を補ってやらねばならない、
それができていないから、
ちっとも体重が増えないのではないか、
と焦っていたのです。

無知な母親に歯止めをかけてくれたのは、
ほかでもない、当時通っていた
保育園の園長先生でした。


「この子はアレルギーがかなりひどいので、
もっと食べものに気をつけた方がいいと思うんですよ」


帰省休みを終え、久しぶりに登園したその日のこと。

休み中に悪化した息子の状態を見かねたのでしょう。
お迎えの時に園長先生にそう声をかけられました。

言われた瞬間には、「ええ?」という思いでした。

血液検査で数値の出た卵と小麦には気をつけている。
それ以上になにを?

数値は出ていないけれど、大豆製品も気をつけた方がいい。
肉もいそいで始めない方がいい。
野菜もアクの強いものや、季節はずれのものはよくない。

今だったらあたりまえ、と思うようなことも、
当時はまったくわかっていなかった。
卵と小麦だけがアレルゲンなんじゃないの?
野菜や肉にも気をつけなきゃいけない?
じゃあ、いったいなにを食べたらいいの?

正直、せっかくの助言にも「これ以上なにを?」
と棒で殴られたかのようなショックを感じるばかりで、
素直に受け入れるだけの余裕がありませんでした。

こんなにがんばっているのに。

人並みに大きくしてやらねば、と
あんなにメニューにも工夫をこらしてやってきたのに。
卵も小麦も食べられなくても
決して遅れを取らぬよう、バランスにも
気を使いながらがんばっているつもりだったのに。

「でもこの子、全然体重が増えなくて・・・」

じゃあいったいどうしたらいいの!?
なかば途方に暮れながらそう告げると、
園長先生があっけらかんと笑って言いました。

「あら~、だってお父さんもお母さんも
大きい方じゃないでしょう?」

その瞬間・・・

なにかの糸が切れたかのように、
思わずポロポロ涙をこぼしている自分がいました。


つらいって、思うだけの余裕がなかった。

苦しいと、口に出すのは、
もっと苦しんでいる息子に対して
申しわけないような気がしていた。

子育ては、つらいもの。
このくらい、たいしたことない。

そう思って、ずっと胸のなかに
くすぶっているものをおさえ続けてきたけれど、
もうとっくに、限界にきていた。

おさえてきた感情が、
どっとこみあげてきた瞬間でした。


かかえこまなくてもいいんですか?
寄りかかってしまってもいいんですか?


息子を育てているのは私だけではない。
自分だけで、がんばらなくてもいいんだ・・・。




本当に、いい保育園だったんです。



辛い乳児期を過ごしたぺっちではありましたが、
保育園には本当に恵まれていました。

残念ながら、病院では、
ステロイドと保湿剤の処方と血液検査くらい。
ちゃんと食事の指導もしてくれる医師には
めぐり合えなかったぺっちでしたが、
この保育園では、アレルギーっ子を育てた
経験のある園長先生のもと、
手作りの離乳食、幼児食を作ってくれていたので、
親もむしろ園に学びながら、除去食に
取り組んでいくことができました。

子どものためには努力を惜しまない、
園長先生の方針が職員にも行き渡っていたので、
どの先生も使命感を持って保育にあたっていました。

その頃、夜、いくら寝かしつけようとしても
なかなか眠ることのできなかったぺっち。
おそらく、保育園でも眠るに眠れなくて
さぞかし手をかけていたのだろうと思います。

正直、当時は相手のことを
考える余裕すらない状態の私でした。
ですので、正直に言って
そんなことは思っていなかった。
思う余裕もなかっのだけれど、
ある日、今でも大好きな保育士さんのひとりが

「寝つけなくて苦しそうでした」

と言った時、

「お手数をおかけして申しわけありません」

申しわけない、なんて思う余裕はなかった。
でも、言わなくてはいけない。

先生たちも、なかなか寝なくて
さぞうんざりしていることだろう、
きっと、こんなに苦しんでいる子を人手に預けて、
とか思われているんだろうな、
ひどい母親だと思われてるんじゃないかな、
でも、とりあえず、今は、そう言わないのは
人としてあまりにも礼儀に欠ける、
ただただ、そんな思いから頭を下げると、

「そんなことはどうでもいいんです」

即座に、

自前のTシャツが息子のリンパ液で
バリバリになっているのにもかかわらず、

お手数などとはちっとも思わない、
でも、なんとか早く楽にしてあげたいですね、
私たちもできるだけ協力しますから、と

手がかかって負担だ、ということを
一瞬のためらいもなく否定してくださったのが
当時どれほど心に沁みたことか。


担任だった保育士さんにも、
足を向けて寝ることができません。

ご自分もアトピーだというその先生は、
そんな状態のぺっちだったにもかかわらず、
「かわいそう」という言葉を
ほとんど口にはしませんでした。

道行く誰もが振り返るくらい
酷い状態だったぺっちなのに、
決してかわいそう、とは言わずに、
親が肌の状態以外のことは
なにも考えられなくなっている時にも、
毎日満面の笑顔で、

今日はぺっちがあれができた、
こんなこともできた、
こんなふうに食べて、
こんなことに笑っていた、
こんなふうに自己主張して、
お友だちとこんなやりとりをしていた

そう言って、
日々の成長を事細かに伝えてくれる明るさが、
どれほど私を救ってくれたことか。

たぶん、あの頃の私は、
家のなかでぺっちと2人っきりで向き合っていたなら
つぶれてしまっていたのではないかと思います。

一緒にがんばってくれる先生方がいたから
なんとかやってこられた。

一緒にぺっちを
いとおしく感じてくれる先生方がいたから
なんとかやってこられた。

この子をなんとか、どうにかして
もっといい状態に持っていってやろう、
その気持ちを共有してくれる人がいてくれたことが、
私を支えてくれていました。


けれど、
肉を食べるのを先に延ばしても、
野菜の種類に気をつけるようにしても、
まだ、好転する兆しは見えてこなかった。


「血液検査でもスクラッチテストでも
乳に結果は出ませんでしたが、
本人は問題なく飲めるようなので
アレルギー用ミルクに代えてみようと思います」


この月の終わり、
ようやく、医師の指示ではなく
園の勧めと私自身の判断で、
粉ミルクをE赤ちゃんからMA-1に代えることにしました。

薬は依然として、保湿剤のみを塗布していました。

ステロイドと、それに関する煩悶については
次回に筆を譲りたいと思います。

SHE CAN RUN !!! ~その8 前編~

こんにちは、なっちで~す!

hara.jpg


はい。すみません。
いきなりこんなの見せられても困りますよね。
ええ、これ、なっちの腹でございます。

だから腹がどうしたのよ、って?
そうですよね、すみません。
わかりませんよね、ええ。

いつも米パンの写真も携帯画像で
お茶を濁してる私ですが、
医師にちゃんと指示をあおぐためにも、
いざって時のためにちゃんと接写の勉強を
しておかなくちゃいけないなあ、
と思いましたよ、つくづく。

月一連載のSHE CAN RUN !!!
乳児なっちの成長と共に
長男ぺっちのアレルギーっ子としての
歩みを振り返っているわけですが、
今月は、これまで順調だったなっちの
アレルギー的生活(©サトワカさん)にも
ちょっとした事件が起こりました。

それはある日の夕方のこと、
オムツ替えをしようと
彼女の肌着をめくると腹部一面に蕁麻疹が!

これまで母乳だけで育ってきたなっち、
昼時にはじめての粉ミルクに挑戦した、
まさにその夕方の出来事でありました。



来月からはいよいよ保育園での慣らし保育が
始まりますので、そろそろ粉ミルクにも
慣れておく必要があるかも・・・。
年明けから20ml程度で離乳食に利用した範囲では
なんら問題がなさそうだったので
40mlに挑戦してみたところ、
冒頭の蕁麻疹が出現したのでした・・・。

年末の血液検査によればミルクのスコアはゼロ。
でも、おもいっきり乳アレの長男ぺっちだって
0歳ではスコアゼロだったんだから、
まあ別に驚きはしないさ。

12時過ぎにミルクを飲み、その後変わった様子はなく、
午後も6時を過ぎてから気がついた遅延反応・・・。
離乳食、といってもあたりさわりのない
野菜程度しかまだ食べていないので、
ほかに反応しそうなものといっても思い当たらない。
あえていうなら、朝食の鶏ささみ?
でも、いやがって二口も食べなかったはずだし、
いくらなんでも反応出るのが遅すぎる。

翌日、蕁麻疹が残っていれば受診、と思いましたが
朝起きると蕁麻疹の影も形もなく・・・

折りしもそれは、長男ぺっちに通常の4倍の卵を
負荷するという、ひじょ~に母を自己嫌悪に
陥らせた事件(←自分が悪いんだけどさ)の
まさにその翌日のこと。

2人分のアレルゲンの把握?除去?負荷?
もうダメ、もう無理ッ!
どっかから母親もう1人派遣してくれ~~~!
と落ちこむことしきりだったのですが、
鬱状態で自宅でスライムになってても、
地球には変わりなく日が昇り朝が来るわけさ。

そこで、やってみることにしました。

粉ミルクのリトライです。

スコアゼロなだけに、
本当に原因が粉ミルクなのかどうか、
もう少し確信が持てないことには
医師にも相談しようがありませんから。

ケッ、アレルギーっ子の母をなめんなよ。
リトライがなにさ。怖くね~よ。
どうやら反応の仕方が長男とは違う様子のなっち。
2度目の方が強い症状が出るかもしれない。
万一ショックでも起こしたら、と不安もありましたが、
やらないことにゃあ、明日は来ない。

てなわけで、朝一番、9時前に粉ミルクを再び飲ませ、
ちょうど6時間後には午後の受診が開始、
というタイミングを狙ってリトライしてみました。

ゴクゴクと、なんの疑いも持たずに
母が与えたミルクを飲んでいる
なっちの顔を見守っている時の気持ち・・・
アレルギーっ子の母ならば
ご想像がつくことと思いますので
ここではあえて言葉にはしないでおきます。

そして、飲ませた後の6時間がまた長いです。

ほらほら、来いよ、来てみろよ~!

なんでしょう?
気分はすっかり妖怪退治?
出るなら出ろよ、コラァ!
見慣れてんだよ、いまさら怖かね~んだよ!
鬼でも蛇でも出てきやがれ!


がっ、


予想に反してなにも出なかったんだな、これが・・・。




はあ~~~。




スコアはゼロだし、リトライ無反応だし、
これじゃあ医師にも相談しようがありません。

ちなみに、これでは来月からの慣らし保育、
粉ミルクの哺乳はあまりにも不安と思い
MA-1を試してみましたが、グルメなっち、
にこ~っと微笑みを浮かべつつも哺乳を断固拒否!
(←正しい味覚だよな)

カーーーッ!
どうするよ?
冷凍母乳とかやだよ~。腱鞘炎になるから!
(←長男の時、危うかった)
仕方ないので新たに投資してミルフィー購入。
イヤイヤながらもこちらは飲んでくれるので、
とりあえずはこれでしのげるかな?


そんなわけで・・・


なんだか明るいね、この記事。


「復讐するは我にあり」に
レスつけてた時にはも~っと暗かったのですが。
やはり、落ちこむにもパワーが必要なのか?
落ちこみすら持続しない、自分の飽きっぽさに乾杯♪

ミルクが飲めない子を預けてまで
復帰するつもりなのか、とか・・・

一時は自分の仕事の必要性も
悩みそうなとこまでいってたのですが、
とりあえず崖からすべり落ちたけど、
足場だけは確保して
なんとかぶら下がった、という感じです。

ちなみにその後、
3度目のトライもしてみました。

3度目も蕁麻疹は出なかったのですが、
少々気になるのが、左頬にちょっぴり
湿疹らしきものが出たこと。

湿疹というほどでもない、
ちょっぴり赤い、ほんのちょっと凸凹した
感じだな~という程度なのですが。

そういえば、左頬と顎には、
前から少しだけこんなふうな赤みが出ることがあり、
なっちは肌の弱い子なので、
帽子つきの上着がちょうどこすれて
赤くなってしまったのかな、などと思っていたのですが、
考えてみれば、この左頬と顎というのは
長男ぺっちが最初に悪化していったのと
まさに同じ場所になります。

なんでしょうね、これは。
まさに妖怪退治か幽霊退治かって感じですよ。

気のせいと言われればそうかな、とも思う。
でもさ、さっきここに置いたはずのコップなのに
ちょっと場所がずれてんだよね、みたいな違和感。
ほんのちょっとの違和感なんだけど、
早いとこ気づいてやらないとえらいことになるのが
食物アレルギーってやつさ。

気のせいかもしれない。
でも、なんかいる気がするんだよね~。

先に1人だけ気がついちゃった志村けん。
相手にしない、いかりや長介。
でも、ラストにはどば~っと上から
怖いのが落っこちてくる、みたいな。
←ドリフネタは年がバレるだろう!

どうやら冷静に因果関係を
見極めていく必要がありそうです。


そんなわけで、
本当ならもっと早くにアップしたかった
SHE CAN RUN!!! その8だったのですが、
なっちの症状に右往左往しているうちに
すっかり日が経ってしまいました。

以下、遅ればせながら、
後編、8ヶ月のぺっち編に続きます。

Appendix

プロフィール

eri

Author: eri
アレルギーっ子の母やってます。
♥長男ぺっち♥
2002年12月生まれ
乳・小麦・卵にアレルギーあり。
検査数値のわりに
反応が強いタイプ。

♥長女なっち♥
2006年4月生まれ
アレルギー検査結果、
軒並みスコアゼロ!
このままアレルギーに
縁のない生活を送れるのか!?

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