Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

YOU CAN RUN ! の秘密 ~最終回~

私には1度の出産経験と4度の妊娠経験があります。

幸いにも、4度目の妊娠では、
久々に胎児の心拍を確認することができました。
ようやく今週、まずはひと安心といわれる
12週を迎えます。

けれど、なんせ今までが今までですから、
まだ楽観はしていないというのが本音のところです。
少し脇腹が痛むたびに、
もしかして、と不安に苛まれる毎日です。

前の流産の週数を一日一日過ぎていくごとに、
前よりは先に進んでいることを
とりあえず嬉しく思う、というよりは、
育てなかった子どもたちのことを思い出して
過去を振り返ることが多くなりました。

久々に、自分の体内でもうひとつの心臓が
脈打っている映像を目の当たりにしながら、
喜ぶというよりはむしろ、
これまでの道のりにあったさまざまな出来事を
つぶさに思い出しました。

育つことのできなかった子どもと、
受精できなかったたくさんの卵たちのことを
私自身が忘れてしまわないために、
この長い文章を書き綴りました。


私には1度の出産経験と4度の妊娠経験があります。

最初の子どもが、私自身の努力なしには
存在しなかった子どもであることと、

少子化といわれる時代にあって、
平均出生率の倍となる妊娠を経験したことは、
一生自分自身の誇りにしていきたいと思っています。

結果ではなく、
走り続けてきた自分の足跡を、
自分自身に誇ってあげたいと思うのです。


今回の妊娠がうまくいくのかどうか、
まだわかりません。
先へ進めば進むほど、
もしだめになったら痛手も大きいだろうなあ、
あまり名前とか、出産後の準備とか、
先のことは考えすぎないように気をつけよう
などと自己防衛しながら、
それでも一応、今日も走り続けています。

結婚7年目、不妊治療4年目に第一子を出産、
その後2度の流産を繰り返し、
結婚10年目にして4度目の妊娠中。

不妊、不育と闘ってらっしゃる方のなかでは、
おそらく、かなり運のいい数字なのだと思います。

今日も走り続けているたくさんの女性に、
なんとか尊敬の思いを伝えたいと思うのですが、
うまく言葉になりません。

このつたない文章が、
走り続ける偉大な女性たちへのエールとなれば幸いです。


思いのほか長い打ち明け話になりましたが、
明日からはまたお気楽ブログに戻るつもりです。


スポンサーサイト

YOU CAN RUN ! の秘密 ~その12~

私には1度の出産経験と4度の妊娠経験があります。

4度目の妊娠については、肉体的にも精神的にも
かなり不安に感じるところがありました。

2回連続しての流産の後、今後のことを相談したところ、
先生の判断としては、1度正常に分娩しているのだし、
検査した範囲では異常も見つからなかった、
もしもう一度だめだったら
不育について疑ってみましょう、とのことでした。

実際、1度流産した人が次も流産する確率と
2度流産した人が次も流産する確率というのは、
それほど高くはないのだそうです。

それに比べて、3度流産した人が次も流産する確率は
格段に高くなる・・・

私自身の気持ちとしては、
不妊期間が長かったうえに
妊娠するようになったと思ったら流産の繰り返し、
これになんの理由もないはずがないじゃないか、
というのが正直なところでしたが、
不育症の検査をするには、
また別の病院に移らなくてはなりません。
別の病院に通いなおす時間的余裕と精神的余裕が
あるかといえば難しいものがありますので、

まずはもう一度挑戦してみよう。
3度不幸が続けば、それは必然になる。
そうなってから、またそれからのことを考えよう。

そう、思いました。

前回の流産の後、また2ヶ月もしないうちに生理が復活、
3度の生理を見送り、妊娠を試みたところ、
再び半年後に妊娠反応が現れました。

不思議なものです。

不妊治療中はあれだけ力を尽くしても
妊娠しなかったというのに、1回出産した後は、
通院しているわけでもないのに、
ほとんど2回に1回の確率で妊娠が成功しています。
長年培ってきたタイミング療法の知識が
皮肉なくらいに功を奏します。

先生に理由を聞いたところ、

「そうですね、不思議と
一度出産してから妊娠しやすくなったって
いう方はけっこういらっしゃいますね~」

とのこと。

いえ先生、そういうことじゃなくて、
私がお聞きしたいのは科学的裏づけなんですけれど、
と長年の恩も忘れて先生をどつきたくなる思いでした。

できる時にはこんなに簡単にできるんだ。
これじゃあ、簡単にできた人が、
簡単に「赤ちゃんはまだ?」
と口にしたりするのも無理はない、
とヘンに苦々しく納得したりしました。


「期待しないように」

「期待しないように」


今回も、そう念じながらの受診です。

正直、今回の診断はとてもこわかった。

3度不幸が続けば、それは必然になる。
そうなってから、またそれからのことを考えよう。


それからって?
それから、どうするの?


それからのことについては、
肉体的にも精神的にも
かなり不安に感じるところがありました。

医師からは
ストップをかけられることはなかったけれど、
こんなふうに半年おきに掻爬手術を受けていたら
なにかしら体に悪影響を及ぼすのではないか。

精神的には、自分自身、
けっこうタフな方だと考えています。

けれど、タフだと自負しているような人にかぎって
壊れる時は一気に壊れてしまう、なんて
聞きかじった心理学の一説が頭に渦巻いたりします。

3度の不幸の後、私はまだ走ることができるだろうか?

走り出すのも自分。
止まるのを決めるのも自分。

もし、そのことが
精神的に耐えがたいストレスとなるようだったら、
幼い子どもを持つ身でもあるのだし、
今度こそ、
止まる勇気を持たなければいけないのではないか。

けれどそのことが起こった時、
走り続けてきた足を自ら止めるだけの余力が
私に残っているだろうか?

走り続けるのは辛い。
けれど、止まるのもまた辛い。

止まるのを決めるには、
これまで走ってきた距離が長ければ長いだけ、
多くの勇気が必要となるのです。


私には1度の出産経験と4度の妊娠経験があります。


幸いにも、4度目の妊娠では、
久々に胎児の心拍を確認することができました。


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~最終回~」へ


YOU CAN RUN ! の秘密 ~その11~

全然妊娠できなかったうえに、
妊娠できるようになったと思ったら
今度は流産の繰り返し。

これはきっとなにか原因があってのことに違いない。

1回目の流産では、
たまたま運が悪かった子と思うと不憫でたまらず、
泣けて泣けて仕方なかったのですが、
いまやこれはなにかしらの必然
と考えるようになっていたので、
今回は育たなかったわが子を悼む気持ちは
それほどこみあげてはきませんでした。
むしろ、必然であるのならば、
できるだけのことをしてその原因を
突き止めてやろう、という気持ちが強くなっていました。

2回目は出血さえまったくない状態の稽留流産でしたが、
超音波で胎嚢が育っていないことが確認されたため、
子宮内容除去の手術をすることになりました。

手術が終われば、また走り出せる。

そう思っていたので、
病院に着いた時にもいたって冷静。
最初に心拍が確認できないと聞いた時にも冷静だったし、
手術をしましょう、と言われた時にも冷静だった。
われながら気丈だなあ、
などと自画自賛しながら内診台に上がりました。

かたわらには、超音波の映像がありました。
育つことがかなわず、すでに形の崩れはじめた
胎嚢の姿を目にした時、


これでこの子の姿も一生の見おさめ


そんなふうに思ってしまったのがいけなかった。


さようなら

さようなら


制御のしようもなく涙がこぼれ落ちてきて、
ぐしゃぐしゃな顔のまま、
麻酔の眠りに吸い込まれていきました。


ねえ先生、
ちょっと麻酔の量が足りなかったんじゃないの?


起きたらすでに手術が終わっていた前回と違い、
2回目はどうやら手術の終わり際に
意識が戻ってきてしまったようで、


うわあちょっと。ちょっとそれ、痛いんですけど。


なにかすごいことをされているなあ
ということはわかるものの、
手足の感覚は麻痺して動かすこともできず、
けっこう嫌な感じを味わいました。

後で聞いたところによると、
今回は前回と比べて手術後の子宮の収縮が悪く、
そのため処置に思いのほか時間がかかった
とのことでした。
別に麻酔の量が少なかったわけではなく、
時間自体が延びてしまったわけですね。

子宮の収縮が悪かったというだけあって、
手術後の、後陣痛にも似たキューン、キューン、
という痛みは前回ほど感じませんでした。

今回も隣のベッドには若い女の子がいて、
今度の彼女は、手術前も手術後も
若い男の子がずっと付き添っていたから
精神的にもとても落ちついた感じで、
帰りにも笑顔を見せながら去っていったから、
なんだかホッとしてしまいました。

→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その12~」へ



YOU CAN RUN ! の秘密 ~その10~

次に通院した時、
「やはり育っていないので手術することにしましょう」
と言われるのはもう覚悟していました。

今日もこの婦人科には、たくさんの女性が訪れて、
自分の名前が呼ばれるのを待っています。

数年前は、私も毎月の浮き沈みを繰り返しながら、
いつか結果が出ることを信じてここに座っていました。

あの頃は妊娠さえすればと思っていたけれど、
妊娠はしたものの・・・っていうのも
それはそれで辛いものがあるよね。

なにもしないで待っていると、
「もしかして、もしかしてってこともあるかもよ」
などとよけいなことを考えてしまいそうになるので、
手近な雑誌を手にとって、パラパラとめくってみました。

すると、たまたま広告のコピーで

「YOU CAN RUN!」

という言葉を目にしました。


ああなんか、これっていい言葉かも。


その言葉を見た瞬間、
私は「ああ、そうだなあ」と思ったのです。


ああ、そうだなあ。私、まだ走れるなあ。


不妊治療は出口の見えないマラソンのようなものです。
でも、ずっと走り続けてきました。

どこまで続くのかわからない、
ゴールの見えないマラソン。

もしかしたら、どこまで走っても
ゴールなんて存在しないのかもしれない。

簡単にゴールする人にとっては
あっという間の短距離レースかもしれないのに、
ある人にとってみれば、
世界の果てまで走り続けたとしても
ゴールは存在しないアンフェアなマラソンレース。

途中の景色だって、
走りながら気持ちが紛れるような
眺めのいいとこなんかちっともない。
今度こそゴール?と思った次の瞬間には崖っぷち。
激しいアップダウンの繰り返し。
最悪のコースといっても過言ではない。

併走してくれる誰かがいるわけでもない。

夫婦の関係と、
男性側の子どもに対する考え方にもよるのでしょうが、
わが家の場合、こと不妊と流産に関しては、
うまくいかないことが生じた場合、
私は産むことのできないわが子を思って泣き、
夫は子どもではなく私の体のことを心配する、
という温度差があったため、
夫婦で一緒に走っているレース
という感覚はありませんでした。

仕方ありません。
卵子を大事に体内に抱えている女性と、
精子を放出したら最後、出産が終わるまで
子どもと対面することのない男性とでは、
どうしても感覚が違ってくるのです。
彼にとって、産まれなかった子どもは
まだ存在していないのですから、
私のことだけを心配するのは
当然の心の動きといえるでしょう。

併走してくれる誰かがいるわけでもない、
たったひとりの、
ひたすら苦しいだけのマラソンレース。

それでも、
どんなに苦しくても、先が見えなくても、
走るのをやめてしまったら
レースはそこで終わってしまいます。

止まってしまったら、
これまでこんなに走り続けてきたというのに、
行く手にゴールがあったのか、なかったのかを
知ることすらもできなくなってしまう。
だから、まだ止まるわけにはいかない。

走り出すのも自分。
止まるのを決めるのも自分。

たとえゴールなんかなくても、
走ることに意義がある?
走り続けることに意義がある?

いいえ、ことこれに関しては結果がすべて。

不妊治療のおかげで
人の痛みがわかるようになった、
精神的に成長した、
確かにそういう面もあるかもしれないけれど、
それは決して目的そのものではありません。
正直に自分の心のなかを見つめてみれば、
走り続けるのはあくまでも
自分と自分の子どものためです。
そのために、いつかゴールに行き着くことを信じて、
ひたすらに前へ前へと走り続けるのです。

ゴールの見えない、辛く長いマラソンです。

けれど考えてみれば、こと不妊治療に限らず、
人生ってマラソンみたいなものなのかもしれませんね。

みんな、それぞれの目的のために走り続けている。

私の場合は、妊娠、出産というレースが、
思いのほか長距離のマラソンになりました。

でもとりあえず、

そうだなあ。私、まだ走れるなあ。


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その11~」へ



YOU CAN RUN ! の秘密 ~その9~

いいかげん学習しているので、
くれぐれも

「期待しないように」

「期待しないように」

ひたすら自分に言い聞かせていました。

前回の手術後2ヶ月もしないうちに、
ふたたび生理が訪れました。
3回の生理を待ち遠しい思いで見送り、
満を持しての再チャレンジ。

その結果、前回の流産から半年後、
あっけないくらい簡単に3度目の妊娠を果たしました。

「期待しないように」

「期待しないように」

とはいえ、初期の流産のほとんどは胎児側の問題、
たまたま運が悪かったと思ってください。
流産に関する本には必ずそう書いてありますので、
確率的にいってまさか今回もということはあるまい・・・
ついそんなふうに考えてしまいそうになります。

病院に着いて、まず行った尿検査で
妊娠反応は確認できていたのだと思うのですが、
賢明な先生は多くを語らず、

「まず超音波で診てみましょう」

とおっしゃいました。

なにがあってもショックは受けまい、
そう覚悟して内診台に上がりました。

超音波の画像を見た瞬間、
私にはすぐ、結果がわかりました。

先生はずいぶん長い間、無言で
いろいろな角度から子宮のなかを診ていました。

先生はなにも言わなかったし、
私もなにも聞きませんでした。

内診台ではなにも言われませんでしたが、
目で見た結果は明らかでした。

あるはずの心拍は、
今回もどこにも見当たりませんでした。

「次回まで、もう一回様子を見ましょう」

診察室に戻ると、先生はそう言いました。

「おめでとう」と言わないかわりに、
本当にそうとわかるまでは、
「だめです」とも言わない慎重な方です。

けれどいいかげん学習しているので、
奇跡は起こらないことはもうわかっていました。

前回ほど、自分を責める気持ちはありませんでした。



「たまたま運が悪かったと思ってください」?

嘘だな、それは。

そう、思いました。



知人でも、2度の流産ののちに第1子を出産した人と、
私と同じく第1子の出産後に2度の流産を経験した人がいます。

まったく問題なく出産を繰り返すことができる人がいる一方で、
何度も流産を繰り返す人もいる。

運が悪かった?そんなばかな。
科学的に立証されていないというだけで、
そこにはなにか原因があるんじゃないの?

前回の時は、思いがけない妊娠が
うれしくて、うれしくて、
「週数にしては小さすぎる」
と言われてからもあきらめきれず、
なんとか安静にして妊娠を継続できないものかと思いました。

けれど今回は、
もう奇跡は起こるまいと確信する自分がいました。
これは必然の流産なのだ、そんな気がしました。

流産にまつわる会話のなかで

「育つ子は育つんだから」

という言葉を聞くことがあります。

前回の流産の時、またしてもうちの母なのですが

「育てないような子なら、早めに流れちゃってよかったんだよ」

彼女はそう言って私を慰めました。

あんまりなその言葉に、怒るというよりは、
怒りを通りこして呆れてしまった私だったのですが、
今回、2度目の流産をするに至り、

「早めに流れちゃってよかった」なんて思わない。
少しでも長く自分の子どもと一緒にいたかった。

だけど確かに

「育つ子は育つんだ」

というのは本当だな、と思いました。

長男の時は、多少の無理をしようがしまいが、
彼はそのたくましい生命力で
母親の体から必要なものをじゃんじゃんと吸いとりながら、
あれよあれよという勢いで人間の形へと成長を遂げたのです。

「育つ子は育つんだ」

そのかわり、育たない子は、
どんなに強く、どれほどのものを引きかえにして
祈りを捧げたとしても、育つことはできないのです。


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その10~」へ



YOU CAN RUN ! の秘密 ~その8~

検査の結果、特に異常は認められませんでした、
3回生理がきたら次の妊娠をしてもかまいません。

術後に先生からそう告げられた時から
私のリベンジがはじまりました。

不妊治療をしなければ
妊娠しないと思っていたのに妊娠した。
前回の流産は母体が原因ではなく
たまたま運が悪かった。

だったらもう一度がんばってみよう、
そう思いました。

人って欲張りですよね。
子どもはひとり授かっただけでも望外の幸運。
夜、ふと隣に目をやると、
わが子の安らかな寝顔がそこにある。
これ以上の幸福はない、
そう思っていたくせに、今はさらにその先を望んでいる。

けれどやはり、不妊期間が長かっただけに、
もし妊娠自体が可能であるのならば、
もう一度チャレンジしてみたかったのです。

流産は、精神的にかなりの打撃を
こうむる出来事ではありますが、
それでも不妊の長かった私にとっては、
不妊よりは流産の方がまだ闘いやすいと思えたのです。

あの長くて先の見えない不妊治療を続けてこれたのに、
これが闘えないはずがない。
この程度のことで負けてしまったら、
育つことのできなかった子どもと、
受精できなかったたくさんの卵たちに申しわけない。

不妊は出口が見えません。
原因だって、絶対にこれ、と特定できるわけではありません。

それでいて出口に「出る」時には、
なんの前触れも科学的実証もなく

「妊娠していますね」

ときたりする。

正直、まともな神経をしていたら
おかしくなってしまいそうなくらい
アンフェアな闘いだと思います。

流産なら、
仮にもし万が一、
次もそういうことになったとしても、
自分の体に負担がかかるだけですむ。
そう思いました。

長男を保育園に迎えに行くと、
顔見知りのお母さんたちと一緒になります。
保育園という場所に身を置いてみると、
少子化、少子化と叫ばれているのが嘘のように、
2人、3人と子どもを育てている
お母さんがたくさんいらっしゃいます。
2人目の子が保育園にお世話になっている、あるいは、
上の子が通っていてさらに今次の子を妊娠中、
といった方が非常に多い。

1度目の出産を果たすまでは、
妊婦さんや乳幼児の姿を見かけると
チクンと胸が痛むのを感じずにいられなかった私ですが、
2人目の子に関しては、
はじめから高望みと思う気持ちがあったせいか、
保育園のお迎えでおなかの大きくなったお母さんと
お話しする時にも、胸が痛むことはありませんでした。

むしろ、妊娠、出産というものが
時にはどんなに困難を伴うものかということを
知っているからこそ、どうか健やかに、
と願う気持ちが強くなりましたし、
人の子でも、やはり子どもはかわいいです。

40代で既婚の、
子どものいらっしゃらない保母さんがいました。
園で出している冊子のなかで、
欲しかったけれどとうとう授からなかった、けれど、
毎日園でたくさんの子どもに囲まれているので幸せです、
ということをさらりと書いてらっしゃったので、
私も長いこと治療していたんですと伝えようかと思いましたが、
たまたま運よく1回ゴールしたものが
そんなふうに言ったところでなんの意味があるだろうと思い、
告げずじまいになりました。

ある時、その保母さんはいない席でのことだったのですが

「~~先生は2人のお子さんをお持ちなだけあって
母親側の気持ちをすごくよくわかってくれるので・・・」

というようなことを
なんの気なく園長先生に話したことがあります。

すると、その方がいない席だったにもかかわらず
園長先生は

「でも、子どもがいるから子どもの気持ちがわかるって
わけじゃないんですよ。むしろ、いないのにわかる方が
素晴らしいんだって、いつも私はそう言ってるんですよ」

即座にそうおっしゃいました。

そうです。

確かにそのとおりです。

私たちは、ひとりの子どもがこの世に生まれるということが、
時にはどれほどの困難を伴うかということを知っているからこそ、
すべての子どもに幸あれと、心から願うことができるのです。

けれど、そういって笑顔で
妊婦や乳幼児の姿を見守ることができるようになるまでに、
人はどれだけその胸から血の涙を流すことでしょうか・・・


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その9~」へ



YOU CAN RUN ! の秘密 ~その7~

子宮内容除去の手術は、
それほど苦痛なものではありませんでした。

もっともそれは、私が経産婦であり、
不妊治療が長かったこともあって
内診台にも慣れっこになっているせいかもしれません。
なんせ通院期間が長いので先生やスタッフに対する
信頼感も強く、不安はほとんど感じませんでした。

もしこれがはじめての妊娠で、
喜んだとたんにどん底に突き落とされ、
未来のない手術のために
慣れない内診台にあがらなければいけないのだとしたら、
さぞかし辛いことと思います。

自然流産は全妊娠の約10~15%にのぼるといわれています。
早期流産の原因は不明のことが多いですが、
胎児側に問題があることがほとんどであると言われています。

胎児側に問題があるとは言われても、
どうしても母親というのは自分を責めてしまいがちです。
また、経験がなければ知ることもないでしょうから、
「流産=なにか無理をしたのでは」
という見方をする人が多いのも事実です。

なんの問題もなく妊娠、出産した人と比べて
なにひとつ落ち度があるわけでもないのに、
多くの女性が、ただ不運なためだけに
大きな精神的な打撃と肉体的な苦痛をこうむるハメに陥る、
それが流産です。

さいわい麻酔の効きもよかったので、
目が覚めた時にはすべてが終わっていました。

手術後しばらくベッドで休んでいると、
隣のベッドにいる若い女の子は、
おそらく私と同じ掻爬手術を受けたのだと思うのですが、
痛みがひどいらしく

「いた~い、いた~い」

とつぶやき続けていました。

同じ掻爬手術でも、育つ力のない赤ちゃん
(あるいは受胎の生成物)を除去するのに比べ、
育とうとしている赤ちゃんを掻爬するのは
母体に与えるダメージも大きいのだそうです。

婦人科というのは不思議なところで、
看護婦さんの気配りが徹底しているので、
ほかの患者さんがなんのために通院しているのかは
まったくわかりませんが、
実に多くの若い女性が定期的に通院してらっしゃる一方で、
ときたま、きまり悪そうにした男の子と一緒に、
はじめて来院した、という様子の
これまたきまり悪そうにした女の子を見かけることがあります。

自分とは違った用件で来院した方に対しては
特にこれといった感情もないのですが、
診療している先生や看護婦さんにとってみれば、
冷静な表情の裏で思うところも多いだろうなあ、
と想像してしまいます。

あたりまえですけど、
「できなくて苦労している人もいるのに」
なんて思ったりはしません。

「できない人の分もできたことに感謝してほしい」?

冗談じゃありません。

人の事情はそれぞれなので、
あまり一般論で批判的にはなりたくないのですが、
せっかく妊娠した子どもを「産まない」選択を考える女性が
「できたことに感謝して」産んでくださったとしても、
私自身はうれしくもなんともありません。
どうでもいいです。

私が欲しいのは、
ほかでもない私自身の赤ちゃんなのですから。

いたい、いたい、とつぶやき続けていた彼女も、
夕方には落ちついたのか、しっかりと自分の足で立って
ひとりで帰っていきました。

うまくいってもいかなくても、
妊娠、出産というのは女性の側にかかる負担が大きいですね。

すべての女性の、子どもにまつわる願いがかないますように、
と心から祈らずにはいられません。


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その8~」へ


YOU CAN RUN ! の秘密 ~その6~

産んであげられなくてごめんね。
でも、あなたにこうして会えて本当によかった。

まさかこんなことになるとは思わなかったので、
身内や親しい人には、すでに妊娠を報告していました。

この時も傑作だったのは私の母で、
流産を告げると、まず第一声がこの一言。

「早く今回のことは忘れて、また次にがんばればいいよ!」

母自身も2人目の子どもを10ヶ月にして死産した経験があるので、
それなのにそういう言い方するかね~という感じなのですが、
この時はさすがに呆れてしまい、
怒る気にもなれず、冷静に母を諭してしまいました。

「あのさー、私はいまこの子をなくしたことが悲しいんだから、
この場合、一緒になって悲しんでくれた方がいいんじゃない?
ダメとわかってすぐに次なんて言ったらこの子がかわいそうだよ」

確かにいつまでも悲しみを引きずっていても仕方ないし、
未来に目を向けさせよう、という
心遣いからきた言葉なのでしょう。

「また次があるわよ」

「まだ若いんだし」(そうでもないんですけどね)

実際、そのように言って慰めてくれる方は多いし、
私自身も自分に経験がなかったらそんなふうに言うかもしれない。

職場のアルバイトをお願いしている方で、
私の両親よりも少し若いくらいの、
とても気の優しい女性がいるのですが、
この時流産を報告したなかで、
一番私を慰めてくれたのが彼女の言葉でした。

「ほんとうに?ほんとうにもうダメなの?」

「ほんとうに?私、楽しみにしてたのに!」

「残念ねえ、ほんとうにもうダメなの?かわいそうに・・・」

彼女が私の手を取ってそう言いながら涙ぐんでくれた時、
私自身もじーん、ときてしまいました。

私自身が思っているのとまるで同じことを彼女が口にして、
私の気持ちに同調してくれたことが、私を慰めてくれたのです。

女性にとっては、受精卵が着床したとわかった時から、
それはもうただの細胞のかたまりではなく、
自分の子どもなのです。

誰かが亡くなった時には
「ご愁傷様です」
「このたびは残念でしたね」
そんなふうに声をかけるのではないかと思います。
まさかそこで「また次があるわよ」という人はいないでしょう。

女性にとっては、どんなに初期の流産であっても、
それは大事な子どもの死にほかならないのです。

だからどうか、すぐに「次」なんて言わないでください。
「人」として認められることさえなく消えてしまった
命のことを、ともに悼んであげてください。

立ち直らなければいけないのはわかっています。
いやでもその時がくれば、
なにごともなかったかのように日常のなかに戻っていくのです。
だからこそ今だけは、
育つことのできなかったこの子のことを、
この世の中を目にすることさえなく、
人の形になることさえなく消えてしまった命のことを、
心の底から悲しんであげたいのです。

この先の人生で、もし、ものすごい幸運に恵まれて
もう一度出産することがあったとしても、
私はその子を2人目の子どもとは呼ばないでしょう。
私にとっては、ほかでもないこの子が、
2人目のかけがえのないわが子なのです。


産んであげられなくてごめんね。
でも、あなたにこうして会えて本当によかった。


もしなにか大きな出血があったら、
検査をしたいので可能であれば持ってきてください
と指示されていたので、
トイレから拾い上げたものをそっとタッパウェアに入れ、
穴が開くほど見つめ、泣けるだけ泣ききってから
一緒に病院へ向かいました。

肝心のその子がもう外に出てきてしまっていたので、
診断を聞く時にはもうすっかり冷静さが戻ってきていました。

この子はもうダメなんだ。
でも、あんなにゆっくりとお別れをさせてくれて、
なんて親孝行ないい子なんだろう。

受精卵はすでに出てはいたものの、
一応、子宮内容除去の手術を受けることになりました。
手術のために心電図を取るので別室へ行った時、
気になっていたことを看護婦さんに聞いてみました。

先生に渡したあの子はどうなるんだろう?
検査して、それからただの細胞のかたまりとして
どこかに捨てられてしまうのかしら?

「あの、さっきお渡ししたものなんですが・・・」

私の子どもは、と聞くわけにもいかず
「さっきお渡ししたもの」と口にした瞬間、
人として扱ってもらうことさえできない
わが子があまりにも不憫に思え、
別室だった安心感もあったのか、
またどっと涙があふれてきて止まらなくなってしまいました。

「先生がきちんと検査してくださいますから」

「どうぞ、ごゆっくりしていってください」

そっと席をはずしてくれた看護婦さんの
気遣いには心から感謝しています。


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その7~」へ




YOU CAN RUN ! の秘密 ~その5~

2回目の妊娠がわかったものの、
週数にしては受精卵が小さすぎるとのこと・・・

2度目に通院した時、先生は首をひねり

「もう一度見てだめだったら手術をしましょう」

とおっしゃいました。

長いことこの病院に通っているけれど、
まだここでは泣いたことはなかった。
病院をかわる時、
帰り道では泣けてしまったけれど、
病院のなかでは泣かなかった。
でもこの時はじめて、泣きたい気持ちになりました。

まだわからない。

もしかしたら来週までにぐんぐん大きくなって
元気なところを見せてくれるかもしれない。
だって、この子は確かにここにいるんだもの、
育てないなんて、そんなはずない。

けれど、私も一児の母です。
長男を妊娠した時の超音波の映像と比べると、
今回の映像が正常でないのは見ただけで明らかです。
元気に脈打っているはずの心拍の映像が、
どこにも見当たらないのです。

なにが悪かったのだろう?
もう少し安静に、無理をしなければよかった?
初期の流産のほとんどは胎児側に問題がある
ということを本で読んで知りながらも、
自分を責めることを止められませんでした。

妊娠がわかった時、計算した予定日。
だとしたら星座はこのへんかな~
私との相性はどうかしら?
産まれたら、育休中の長男の保育園はどうしよう?
想像した未来の数だけ、胸の痛みが増していきます。

3度目の診断・・・
それでダメだったらあきらめるしかない。
けれども、あきらめきれない気持ちでいっぱいだった。
だって、あれだけ妊娠できなかった私が
自然に妊娠できたというのに、
その子どもが育たないなんてそんなのってあり?

やっとの思いで1人目を出産し、それだけでもう、
それ以上の幸福はないと思っていたはずだったのに、
一度夢を見てしまったら、
もうその夢を手放せなくなっていました。

2人の子どもと手をつないで歩く夢・・・
あたかも実現するかのように思ってしまっただけに、
それを失くしてしまうことはひどい痛手のように思えました。

子どもを保育園に送り出し、
よし、病院に出かけようとしたその時でした。
まるで破水した時のように、
ドロッとなにかが体から流れ出してくるのを感じました。

トイレに入って、体から流れ出た、
長さにして10cmちょっとの血のかたまりを
しばらく呆然と眺めていました。

それから大事にそれをそっと拾いあげ、
声をあげて、文字どおりわんわんと泣きました。

私の子どもになるはずだったものがそこにありました。


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その6~」へ



YOU CAN RUN ! の秘密 ~その4~

はじめて婦人科を受診した時から
子宮筋腫があることがわかっていましたし、
プロラクチンの値が高く、ずっとその値を下げるための
薬を飲んでいたりしたもので、自分は通院していない限り
妊娠することはない体なのだと信じこんでいました。

仕事を続けていることもあり、
育児と仕事の両立のなかに
通院という予定を組み込むのはとても無理。
また、一応子どもは天からの授かりものなのだし、
1人目は努力に努力を重ねて産んだけれども、
授からない以上、2人目まではとても望むまい・・・

子どもはひとり授かっただけで望外の幸運。
2人目などまったく考えてもいなかったので、
育児用品だって、使い終わるやいなや
人にあげてしまいました。

そんな心境だったので、息子が1歳半になった頃に
生理がやけに遅れていることに気づいた時も、
当然のことながら「まさかそれはあるまい」と
考えていました。

思えば長い通院生活の末に
ようやく出産を成し遂げたものの、
最初に通っていた病院にはお礼もしていません。
私が出口の見えない不妊治療を
なんとか続けてこられたのは、
あの病院の通いやすい雰囲気があってこそのことでした。

遅れてはいるけどまさかね。
自然に妊娠なんて、私にかぎってあるわけないし。
だからまさかそれは絶対にありえない。
今日はお礼に行くだけだから。

自分にそう言い聞かせながら、菓子折りを持って
久しぶりに最初に通った婦人科を訪ねてみました。

そして、妊娠を告げられました。


うれしかった。


だって、できることならばこの病院で、
この先生の口からその言葉を聞いてみたかったから。

「ありがとうございます!ずっとこちらに通っていたので、
ここで妊娠の診断をしていただけるなんて本当にうれしいです!」

けれどこの時、賢明な先生はやはり
「おめでとうございます」とは言いませんでした。

「週数にしてはちょっと小さめですね」

冷静に告げられたその一言・・・
けれども不妊が長かった私にとっては、
妊娠できるかどうかがすべて。
その時にはまだ、あまりその言葉の意味を深く
考えてみることはしなかったのです。

→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その5~」へ







YOU CAN RUN ! の秘密 ~その3~

はじめての妊娠がわかったのは、
2番目の病院に通いはじめて
ちょうど1年あまりが過ぎた時でした。

2年間、前の病院でさまざまな検査をしてきたけれど、
病院が変わればまた一から調べなおし。
もうすでに一度調べたことなのに。
こうしてまた同じことを調べているうちに
ひとつひとつ、私の卵子が死んでいく・・・

焦りを感じはじめていたある日のことです。
今回もダメだったら人工授精も視野に入れましょう、
そんなふうにも言われ、とりあえず今回は様子見という状況。
ちょっとひと休み、生理がきたら検査をして
次の手を考えましょう、ということなので
今までとなにを違ったことをしたわけでもない、
むしろ薬などはなにも飲んでいなかったにもかかわらず、
生理が遅れ、なかなかやってきません。

7年近く不妊が続いていれば
さすがに経験も豊富になっていますので、
「よくあるよ、このくらい遅れることはさ」
とすっかり斜めに構えながら受診したところ、
妊娠と診断されました。

自分でもまさか今回はあるまいと思っていたため、
はじめはそうと聞かされても狐に化かされたよう。
看護婦さんは「ほら見てください!」
と検査の結果を手で振りかざして笑いかけてくれましたが、
正直、その瞬間はうれしいという感情はなかったように思います。
むしろ、こんなだまし討ちみたいにゴールに着いちゃうなんてあり!?
努力の末に、という実感があれば喜びもするけれど、
こんなだまし討ちみたいにゴールさせられてしまうのだとしたら、
今までの苦労はいったいなんだったのだろう?
できるならできるで、こうしたからできた、
という科学的実証がなければ納得しかねるじゃないか、
と憤りさえ感じるほどだったような気がします。

けれど考えてみれば、
世の中の多くの人はなんの苦労もなく
自然に妊娠、出産というイベントをこなしていくのだろうし、
悔しいけれど、妊娠、出産というものは
どれだけ苦労したからこう報われる、
というものではないんですよね。

ちなみに、この時先生の方はいたって冷静、
確か「おめでとうございます」の言葉もなく、
淡々と「妊娠してますね」とおっしゃいました。
不妊治療の先生というのはみなさんそうなのでしょうか。
2番目の病院の先生も、よけいなことを言わない方でした。
それはおそらく、妊娠がかならずしも
出産に結びつくものではないということを
よくご存知だからなのではないかと思います。
「おめでとう」と言われた数だけ、
もしものことがあった時には辛くなりますから。

ようやく念願の妊娠をしたものの、
喜んでいる余裕は私にはありませんでした。
妊娠はしたものの、
出産できなければまた振り出しに戻る、です。
喜ぶというよりは、このチャンス、
絶対実らせなければ後がないとの思いがあまりにも強かった。

なんとしても無事に産みたい!

こうして、不安だらけの妊娠生活がスタートしました。
私ほど流産の種類や異常妊娠の症状に
くわしい妊婦もいるまい、と思うくらい
マイナスな情報をかき集めては、
でも○○週だからもうこれはないな、
これはもうクリア、と週数の進行とともに
不安な要素をひとつひとつつぶしていき、
ようやく安定期に突入していきました。

今思えば、一人目の子は本当に順調だった。
超音波の映像を見るたびにメキメキと大きくなっていったし、
心拍も電車の音みたいにドクドク元気に波打っていた。

出産の時もおおむね順調。
破水からはじまり、なかなか陣痛がつかないので
陣痛促進剤を使ったり、ということはありましたが、
予定日ぴったりに、大きすぎも小さすぎもしない
キロ数で無事この世に生まれてきました。

おなかにいるうちが花よ~というのは本当で、
出産後は夜泣きでなかなか眠らせてもらえず
辟易したのも事実ですが、
それでもすやすやと眠っている寝顔を見つめていると、
我が身の幸運が信じられない思いでした。

この私に息子がいるなんて。
自分の子どもをこの腕に抱くことができるなんて。

これ以上の幸せはこの世にありえない。
そう思っていました。


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その4~」へ




YOU CAN RUN ! の秘密 ~その2~

婦人科って、なんか敷居高いですよね?

よさそうな不妊外来の病院を探しながら
ひとつだけ譲れないと思っていた条件は、
産科がないこと。

幸せそうな妊婦さんと一緒に待合室で並びながら
不妊治療をするなど耐えられそうにない。

これはと決めた婦人科の門をくぐり、
「あの、不妊症の診断をお願いしたいんですが・・・」
と小さい声で受付に声をかけました。

すると手渡されたのはびっしり項目の並んだアンケート。
よく見てみると、自分から「不妊・・・」などと
言いづらい言葉を口にしなくても、
書けば来院の理由が伝わるようにアンケートが作られている。
ちゃんと気を使ってくれているんだなあ、と
もしかしたら病院ならどこだって
当たりまえなのかもしれないことにじ~んときてしまう。

たまたま通えそうな範囲にあったので
選んだ病院なのですが、実にここはいい病院でした。
先生はよけいなことをしゃべりすぎないし、
看護婦さんは採血が上手で、気配りに長けている。

子宮卵管造影法という検査があります。
多少痛みがともなう検査なのですが、
この時もやさしい看護婦さんがそっと手を握っていて
くれたおかげで安心してがんばることができました。

2年間、この病院に通いました。
タイミングの指示を毎月受け、
ひと月ごとに浮き沈みを繰り返しました。

周期はいやというほど正確なタイプなので、
14日目を中心として通院と服薬、あるいは注射を行って、
30日前後にふりだしに戻る・・・
どうせ今回もダメだろうな、と常に自分を
「期待しないから落ち込まない」状態に
するように心がけてはいたものの、通院する前、
本で読んだ程度の知識で妊娠に挑戦しながら
毎月ガッカリさせられていた頃に比べれば、
先生の医学的知識に裏付けられた言葉と、
超音波により目で見ることのできる卵の画像は、
はるかに自分の子どもに近いところまできている、
という気持ちにさせてくれました。

2年目の終わり、この病院ではできない治療をするために
もっと大きな病院に行くことになりました。

「もしあちらに通うのが大変だったら
また戻ってきていいんですからね」

口数の少ない先生にやさしい言葉をかけていただき、
次の病院の紹介状を手に握りしめながら、
さいわい車で来ていたこともあって、
帰り道では運転しながらボロボロ泣きました。

とてもいい病院だったのです。
治療のあとも期待させるような余計なことは
一切言わなかったし、ダメとわかった時にも、
あたりまえのように次の指示を出してくれたから
「やっぱり私ってダメなの?」と落ちこまずにすんだ。

ここに通っているというそのことだけで、
まだ見ぬ赤ちゃんに一歩一歩近づけているような気がしていた。
内診台にあがって自分の卵子を見てもらうことによって、
いつかこの闘いの日々に出口が見えてくることを信じていた。

次の病院に行くことになり、
なんだか見放されたような気持ちになりました。
というかまあ、事実見放されたわけです。
ここに通ってさえいればいつか・・・
と思い続けてきたけれど、
ここでできることは、もうないのです。

やっぱり私は、
自分の子どもをこの胸に抱くことはないのかもしれない・・・


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その3~」へ





YOU CAN RUN ! の秘密 ~その1~

私には1度の出産経験と4度の妊娠経験があります。

今までにも不妊についてちらりとは触れたことが
あったのですが、妊娠にまつわるあれこれについて
ちょっと書きとめてみたいと思います。

結婚したのは20代なかば、まわりと比べても
結婚自体はけっこう早い方だったのですが、
私たち夫婦は、結婚後なかなか子どもに恵まれませんでした。

結婚して2年たっても子どもができなかったら
不妊症について疑ってみた方がいい・・・のだそうです。

2年という数字が頭のなかにあったので、
「いや~、こういうのは神様の思し召しだからさー」
とは思いつつも、結婚して1年も過ぎると、
だんだんと月のものが来るかどうか
毎月ドキドキ、ビクビクするようになってきます。

それでも、不妊という言葉は
いざこうなってみるまで自分にはまったく縁のない
言葉のように思っていただけに、自分でも
なかなかそれと認めることはできないままに
「いなければいないで夫婦が仲良く暮らせれば
それでいいのだし」と、どこか自分をごまかしながら
日々は過ぎていきました。

1年しても子どもができないと、まわりの人は
「子どもは作らないの~?」と聞いてきたりします。
それが3年も過ぎると、どうやら作る気がないか、
はたまた気の毒にできないらしい、と判断するのか、
あまりそれについて聞かれることも少なくなってきます。

例外は身内でして、
わが家の場合、義母はとてもできた人なので、
子どもにまつわる発言は今に至るまで
一度たりともしたことがありません。
私の父の場合はよくできているというのか、
はたまた娘に対してそういう話題はしにくいだけなのか、
やはり子どもがどうこうということは口にしません。

唯一の例外が母でして、まあそんなにプレッシャーを
かけるというわけでもないのですが、
結婚後3年以上が過ぎ、正直それについては
一切触れられたくないくらいの段階に来ていたある日のこと、
法事の翌日に電話であれこれと無駄話をしていた時、

「~~さんに、えりちゃんところ子どもはどうなのー?
って聞かれたのよ~」

と、突然の攻撃を食らいました。

別に意図して作らないでいるわけじゃないんだよ、
と伝えてはあるので、ふだんはあまりそれについて
口にはしない母なのですが、安心していたら
急にグサッとやられました。

私の知らないところで親戚の人とそのような会話が
交わされているというのもひどくショックでした。

その日を境に、腹を立てた私は実家に連絡するのをやめました。

向こうから連絡があればそれなりに対応してはいたのですが、
そんな娘の態度に、母も一応は
気づいてはいたのではないかと思います。

振り返ってみれば、結婚して3年以上が経過し、
人より早く結婚した私も、もうすぐ30歳になろうとしていました。

どうして一番理解して欲しい母親が一番無神経なの!?
と憤りつつも、母の言葉が
私の背中を後押ししてくれたのかもしれません。

「子どもはどうなのー?」と言われた瞬間の切なさ。
「いなければいないでいい」なんて嘘。
本当は毎月自分の流した血を見るたびに、
泣き出したくなる気持ちを抱えていた。
結婚してすぐに妊娠した友達や同僚の話を聞くたびに、
笑顔で祝福するのがだんだん
難しくなっていくことにも気づいていた。
年賀状に写っている赤ちゃんの笑顔が嫌いだった。

母の言葉に傷ついたのをきっかけに、
私はようやく自分に嘘をつくことをやめ、
婦人科の門をくぐる決心をしました。


→「YOU CAN RUN ! の秘密 ~その2~」へ


Appendix

プロフィール

eri

Author: eri
アレルギーっ子の母やってます。
♥長男ぺっち♥
2002年12月生まれ
乳・小麦・卵にアレルギーあり。
検査数値のわりに
反応が強いタイプ。

♥長女なっち♥
2006年4月生まれ
アレルギー検査結果、
軒並みスコアゼロ!
このままアレルギーに
縁のない生活を送れるのか!?

最近の記事

ブログ内検索

 

YOU CAN RUN !!!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。