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SHE CAN RUN !!! ~その8 後編~

8ヶ月の長男ぺっち。

それは、暑い8月のことでした。

生後からずっと、両頬をはじめとする
湿疹とかゆみに悩まされ続けてきたぺっち。

あの暑かった夏は、今にして思い返すと、
ぺっちが長い下り坂を
下りに下っていった先の、
一番底の部分にいた、
まさにその時だったのだと思います。



両頬は真っ赤でジクジクのリンパ液の海。
両肘、両膝のあたりも掻きこわしで傷だらけ。

そんな状態の続いていたぺっちですが、
8月の前半、私の実家に帰省すると、
症状はさらに悪化していきました。

久々の実家、つもる話もありますので、
寝かしつけたあとで居間に戻って・・・
と思うものの、抱けども抱けども
なかなか眠りにつかないぺっち・・・。

8ヵ月ともなると手足の力も強くなってくるので、
かゆい頬や太ももを掻こうとする手を
必死で阻止しながらの抱っこです。

手を阻止されると、今度は夢中で
頬をこっちの胸にこすりつけて
かゆみを紛らわそうとしてきますので、
胸からわずかに顔を離した状態で
こすられないように保ちながら、
なんとか眠りについてくれるよう、
足でステップを踏み、手で背中をトントンします。

いくら子守唄を歌っても、
なかなか寝ついてくれない。
歌のレパートリーはすぐにつきてしまうので、
仕方ないので数を数えてみることにしました。

きっと、たぶん寝る。
もうきっと、寝るはずだから。

500も数えるうちにはきっと寝るだろう。
そのくらいに考えて数えはじめたのに、
なんのことはない、あっという間に
4ケタに突入してしまった・・・。

その間中、泣き続け、叫び続けている
ぺっちと私の状態を見かねて、
母が交代しようか、と言ってはくれるものの、
当時は、自分以外の人にまかせてしまったら、
その分、ようやく固まりかけた傷口が
また胸にこすりつけたりすることで
真っ赤な海に戻ってしまうのではないか、
という強迫観念のようなものがあって、
まかせるにまかせられなかった。

その結果、ぺっちも私もすっかり真夏の夜、
汗だくになって、体も熱くなってしまい、
ますます眠れぬ夜を長くしてしまったのだ、
と今ならば距離を置いて考えることができます。

でも、あの頃は毎日、毎晩が必死で、
冷静に状況を分析する力など残ってはいなかったのです。

確か、あの夏は、平均して2時間くらいは
寝かしつけに時間がかかっていたように記憶しています。
早ければ1時間、遅ければ3時間以上・・・。
要するに、眠くなって体温が上がればかゆくなり、
ひたすら泣いてばかりいたのです。


その頃、食べていたもの。

野菜のトマト煮
かれい
豆腐
野菜のミルク煮
牛ひき肉の野菜スープ煮
しらすご飯
かぼちゃの豚ひき肉あんかけ
野菜スープミネストローネ風
豆腐のマーボー風
カジキのトマト煮

ざっと振り返ってみただけで・・・

今の私だったら、
よほど用心してからでなくては
与えないであろうメニューを、
あの頃はなんの疑いも抱かず、
息子が口を開くままに放り込んで、
どんどん食べさせていました。

焦りもありました。

息子の体重は、7ヶ月の時点で6650g。
6キロ台になってから伸び悩むようになっていたので、
離乳食をもっとがんばって食べさせて
ほかの子に追いつかなくては、との思いで
育児書を眺めてはいろいろ工夫してみたつもりでした。

そう・・・
卵と小麦が食べられないと思えばこそ、
別のものでなんとか栄養を補ってやらねばならない、
それができていないから、
ちっとも体重が増えないのではないか、
と焦っていたのです。

無知な母親に歯止めをかけてくれたのは、
ほかでもない、当時通っていた
保育園の園長先生でした。


「この子はアレルギーがかなりひどいので、
もっと食べものに気をつけた方がいいと思うんですよ」


帰省休みを終え、久しぶりに登園したその日のこと。

休み中に悪化した息子の状態を見かねたのでしょう。
お迎えの時に園長先生にそう声をかけられました。

言われた瞬間には、「ええ?」という思いでした。

血液検査で数値の出た卵と小麦には気をつけている。
それ以上になにを?

数値は出ていないけれど、大豆製品も気をつけた方がいい。
肉もいそいで始めない方がいい。
野菜もアクの強いものや、季節はずれのものはよくない。

今だったらあたりまえ、と思うようなことも、
当時はまったくわかっていなかった。
卵と小麦だけがアレルゲンなんじゃないの?
野菜や肉にも気をつけなきゃいけない?
じゃあ、いったいなにを食べたらいいの?

正直、せっかくの助言にも「これ以上なにを?」
と棒で殴られたかのようなショックを感じるばかりで、
素直に受け入れるだけの余裕がありませんでした。

こんなにがんばっているのに。

人並みに大きくしてやらねば、と
あんなにメニューにも工夫をこらしてやってきたのに。
卵も小麦も食べられなくても
決して遅れを取らぬよう、バランスにも
気を使いながらがんばっているつもりだったのに。

「でもこの子、全然体重が増えなくて・・・」

じゃあいったいどうしたらいいの!?
なかば途方に暮れながらそう告げると、
園長先生があっけらかんと笑って言いました。

「あら~、だってお父さんもお母さんも
大きい方じゃないでしょう?」

その瞬間・・・

なにかの糸が切れたかのように、
思わずポロポロ涙をこぼしている自分がいました。


つらいって、思うだけの余裕がなかった。

苦しいと、口に出すのは、
もっと苦しんでいる息子に対して
申しわけないような気がしていた。

子育ては、つらいもの。
このくらい、たいしたことない。

そう思って、ずっと胸のなかに
くすぶっているものをおさえ続けてきたけれど、
もうとっくに、限界にきていた。

おさえてきた感情が、
どっとこみあげてきた瞬間でした。


かかえこまなくてもいいんですか?
寄りかかってしまってもいいんですか?


息子を育てているのは私だけではない。
自分だけで、がんばらなくてもいいんだ・・・。




本当に、いい保育園だったんです。



辛い乳児期を過ごしたぺっちではありましたが、
保育園には本当に恵まれていました。

残念ながら、病院では、
ステロイドと保湿剤の処方と血液検査くらい。
ちゃんと食事の指導もしてくれる医師には
めぐり合えなかったぺっちでしたが、
この保育園では、アレルギーっ子を育てた
経験のある園長先生のもと、
手作りの離乳食、幼児食を作ってくれていたので、
親もむしろ園に学びながら、除去食に
取り組んでいくことができました。

子どものためには努力を惜しまない、
園長先生の方針が職員にも行き渡っていたので、
どの先生も使命感を持って保育にあたっていました。

その頃、夜、いくら寝かしつけようとしても
なかなか眠ることのできなかったぺっち。
おそらく、保育園でも眠るに眠れなくて
さぞかし手をかけていたのだろうと思います。

正直、当時は相手のことを
考える余裕すらない状態の私でした。
ですので、正直に言って
そんなことは思っていなかった。
思う余裕もなかっのだけれど、
ある日、今でも大好きな保育士さんのひとりが

「寝つけなくて苦しそうでした」

と言った時、

「お手数をおかけして申しわけありません」

申しわけない、なんて思う余裕はなかった。
でも、言わなくてはいけない。

先生たちも、なかなか寝なくて
さぞうんざりしていることだろう、
きっと、こんなに苦しんでいる子を人手に預けて、
とか思われているんだろうな、
ひどい母親だと思われてるんじゃないかな、
でも、とりあえず、今は、そう言わないのは
人としてあまりにも礼儀に欠ける、
ただただ、そんな思いから頭を下げると、

「そんなことはどうでもいいんです」

即座に、

自前のTシャツが息子のリンパ液で
バリバリになっているのにもかかわらず、

お手数などとはちっとも思わない、
でも、なんとか早く楽にしてあげたいですね、
私たちもできるだけ協力しますから、と

手がかかって負担だ、ということを
一瞬のためらいもなく否定してくださったのが
当時どれほど心に沁みたことか。


担任だった保育士さんにも、
足を向けて寝ることができません。

ご自分もアトピーだというその先生は、
そんな状態のぺっちだったにもかかわらず、
「かわいそう」という言葉を
ほとんど口にはしませんでした。

道行く誰もが振り返るくらい
酷い状態だったぺっちなのに、
決してかわいそう、とは言わずに、
親が肌の状態以外のことは
なにも考えられなくなっている時にも、
毎日満面の笑顔で、

今日はぺっちがあれができた、
こんなこともできた、
こんなふうに食べて、
こんなことに笑っていた、
こんなふうに自己主張して、
お友だちとこんなやりとりをしていた

そう言って、
日々の成長を事細かに伝えてくれる明るさが、
どれほど私を救ってくれたことか。

たぶん、あの頃の私は、
家のなかでぺっちと2人っきりで向き合っていたなら
つぶれてしまっていたのではないかと思います。

一緒にがんばってくれる先生方がいたから
なんとかやってこられた。

一緒にぺっちを
いとおしく感じてくれる先生方がいたから
なんとかやってこられた。

この子をなんとか、どうにかして
もっといい状態に持っていってやろう、
その気持ちを共有してくれる人がいてくれたことが、
私を支えてくれていました。


けれど、
肉を食べるのを先に延ばしても、
野菜の種類に気をつけるようにしても、
まだ、好転する兆しは見えてこなかった。


「血液検査でもスクラッチテストでも
乳に結果は出ませんでしたが、
本人は問題なく飲めるようなので
アレルギー用ミルクに代えてみようと思います」


この月の終わり、
ようやく、医師の指示ではなく
園の勧めと私自身の判断で、
粉ミルクをE赤ちゃんからMA-1に代えることにしました。

薬は依然として、保湿剤のみを塗布していました。

ステロイドと、それに関する煩悶については
次回に筆を譲りたいと思います。

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Appendix

プロフィール

eri

Author: eri
アレルギーっ子の母やってます。
♥長男ぺっち♥
2002年12月生まれ
乳・小麦・卵にアレルギーあり。
検査数値のわりに
反応が強いタイプ。

♥長女なっち♥
2006年4月生まれ
アレルギー検査結果、
軒並みスコアゼロ!
このままアレルギーに
縁のない生活を送れるのか!?

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